“味なら日本一”と褒めそやされた甲州の『武川米』は味・艶・香りと3拍子そろった美味しいお米です。

その発祥は武田家の始祖、武田太郎信義の時代(今からおよそ800年前)まで遡り、青木・柳沢・山高・入戸野・白須・下教来石など『武川衆』と呼ばれた諸氏が自分の領地(武川筋)から収穫されるお米に『武川米』と名付けたのが始まりと言われています。武川筋は中世『武河の荘』から出た言葉で、武川米の産地として用いるときは、北は長野県境の白州町教来石から南は御勅使川までの釜無川流域を指します。

釜無川流域は甲斐駒ケ岳のふところ深く、花崗岩の水に洗われた砂質壌土で米作りには最適の土地でした。農民は豊富な水源を利用して広く新田開発を行い、度重なる水害にも耐え、品質や栽培方法に改良を重ね、辛苦の末、遂に幻の米『高砂』を作り出しました。高砂は明治から昭和初期、最もおいしいお米と言われた品種で、韮崎市旭町上條北割地区の田圃から宮内庁へも納められました。しかし作り方が難しく収穫量も少なかったためにあまり普及せず、深刻な食糧不足に悩まされた戦中・戦後を通じて徐々に影をひそめ、今ではまさに幻となってしまいました。

戦後の高度経済成長期、米作りの機械化・近代化はお米の増産をもたらしましたが、近年食生活の多様化で米離れ現象が起こり、米の消費は徐々に下降線を辿る中、人々は一層美味しいお米を求めるようになりました。最近の武川米の代表品種といえば『農林48号(ヨンパチ)』や『コシヒカリ』などが挙げられますがいづれも高値を呼んで評判となっています。

旧武川村資料より